娘の誕生日 [育児]
今日(31日)は娘の2歳の誕生日。
産まれてからもう2年も経つんだね。
あなたはなかなか出てこなくて、みんなとっても待ち遠しかったんだよ。
初めてあなたを抱いたときはうれしくて涙があふれたんだ。
小さな手、小さな足、小さな体で一生懸命息をしている。
パパはあなたが産まれた日病院でずーっと写真撮ってたんだよ。
あなたの笑った顔、怒った顔、泣いた顔、寝顔、みーんな大好き。
大きくなったね。
産まれてきてくれて本当にありがとう。
そしてこれからもよろしくね・・・。
父の存在 [思ったこと]
今回の父の入院で今まで父のことを誤解していたなと思った。
小さい頃から父はほとんど夜家にいなかった。
私は何処の家も「お父さんは夜いないのが当たり前」だと思っていた。
帰ってくるといつも酒くさくてそんな父が嫌いだった。
お店はいつも母がやっていて、父は定休日でもないのにゴルフに行ったりしていて、私たちの学校が長期の休みになると、母が定休日に私たち3人を近くのデパートに連れて行ってくれたりした。
何度も父に文句を言ったことがある。
「父さんはいつもお店母さんに任せて、ゴルフ行ったり飲みに行ったりで母さん大変でしょ!」と言うと、
「馬鹿!接待だ!こっちだって大変なんだ」と言っていたけど、酔っ払って帰ってくる父を見て大変そうには見えなかった。
父が入院した日に「1年入院するかも」と兄に話をしたら
「そんなに父さんが入院してたら店つぶれるぞ」
「仕事は父さんが持ってきて成り立ってるんだから」と言われました。
母にも「お父さんがそんなに入院したら店閉めなくてはいけないかも」と言うのです。
私は今まで父がいなくても母がいればお店は大丈夫だと本気で思っていました。
自分が情けなくなりました。
父のいない実家はとても静かでなんだか寂しかった。
退院したらまた大好きなお酒が飲めるといいね・・・。
5日間 [病気]
私の実家は自営業をしています。毎月20日が支払日で私は東京から長野まで手伝いに行っていました。
今月23日に東京に戻る予定の朝、子供が高熱を出したためその日は帰るのをやめました。
次の日まで熱が下がらなければインフルエンザと言われていましたが、うそのように朝熱が下がっていました。
父が朝起きてきて「具合が悪い」と言っていたので熱を測ったら39度あり、病院に行ったら、肺炎なのでそく入院と言われました。
8年くらい前に肺炎で1ヶ月くらい入院したことがあり、母も「転寝ばかりしていて、自業自得よ」と言い、まったく心配した様子でなかったので、私もすぐ良くなるだろうと思っていました。
病院から入院の説明があるので来てほしいと言われ夜母と子供と病院に行ってきました。
父は車椅子に酸素チューブをつけた姿でした。
先生の説明では肺炎には2種類あり、普通の肺炎なら抗生物質で2週間くらいの退院で治るけど、間質性肺炎だとステロイド剤で1年くらい入院しなくてはいけないとのことでした。どうも父は間質性の疑いがあるかもと言われたのです。
29日に詳しい検査をして分かるとのことでした。
「間質性肺炎」初めて聞く病名でした。
インターネットで調べたら、あまりよくないことばかり書いてあり、その後兄の話では知り合いでその病気で亡くなったというのです。
私は青ざめました。
心配していた母に、「悪い風に考えると良くないから、良いように考えようよ」と言いながらも私自身とても怖かったのです。
私は毎日朝と夜子供をつれて父の見舞いに行きました。
父は子供のことをすごくかわいがってくれていて、見舞いに行くとうれしそうにしていました。
父が子供と手をつないで歩く後ろ姿を見て、涙が出そうになりました。
そういえば31日に子供が2歳になるので、30日の日に父と母が東京に行き花見をしながら誕生日を祝ってくれる予定でした。
早く良くなってほしい。
ただただ祈ることしかできませんでした。
28日の夜お見舞いに行ったらちょうど先生がきて、思ったより経過がよく、間質性肺炎の疑いがなく、このまま様子をみて大丈夫なら早くに退院できそうだと言うのです。
私も父も喜びました。本当に嬉しかったのです。
病院の玄関まで父と子供と私で手をつないで歩きました。
父の安心した顔を見て私もうれしくなりました。
この5日間は振り返るとあっという間の出来事でしたが、「生と死」について考えた5日間でした。
人生の悲劇は「よい子」に始まる [本]
この本を読んで小さい頃私は親の前で「よい子」であろうとしていたんだと思った。
私は3人兄弟の末っ子だった。
兄、姉は頭が良く、よく父、母に「小さい頃はいい子だったのに」と言われ、
そう言われることがすごく嫌だった。
小さい頃の私はお手伝いもよくし、頭が良いと思ったので、この子は将来何になるのかと親は期待していたらしい。
でも実際の私は親の期待にそえなかった。
私はいつの間にか親に「認めてもらいたい」と思うようになった。
そして、見返りを求めるようになった
それは、私の周りの人たちに対しても同じだった。
夫に対してが最もそうかもしれない。
いい妻になろうと私なりの努力をして喜ばれたかった。
そして、自分が期待する答えがこないと怒る。
そんなことの繰り返し・・・。
この本のエピローグにこんなことが書いてあった。
『あなたを世話するのはこんなにうれしいと伝える親と、
あなたを世話するのはこんなに大変だと子供に伝える親とでは
子供の心理的成長にとって、親の意味はまったく違う。
こんなに楽しいという顔をして子供を世話すれば、子供は自分の存在に自身を
もつであろう。』と
自信がない子供は不安になり、よい子を装うらしい。
私は子供に楽しいと言う顔をして育てていただろうか?
きっと大変だという顔をしていたと思う。
子供には「自信」を持って育ってほしい。
「よい子」を装うのでなく・・・。
今も子育ては大変だと思う。
でも、前より楽しくできそうだ・・・。
娘の変化 [育児]
今娘はカメラを向けるとそっぽを向く。
少し前までカメラが大好きで自分から「撮って撮って」と言ってきたのに・・・
今は逃げるように遠くへ行ってしまう。
娘に何が起こったのだろう?
まさかもう思春期なのか?
もうすぐ2歳になるので、誕生日には写真をいっぱい撮りたいと思っているのに・・・。
親ばかな親には付き合ってられないのだろうか?
ブログに載せるにはいいのだけれど
偽りの愛 真実の愛 [本]
- 作者: 加藤 諦三
この本を読んで今まで私が「愛」と思っていたのが
「偽りの愛」だったと感じた。
『人は誰でも完全な愛に出会いたい、と願うものである。しかし、愛されたいと思っているうちは決して愛されない。相手の立場を考えることができるようになって初めて、真実の愛をつかむことができるのである』
私は今まで人に「愛されたい」と思っていた・・・。私と姉 [思ったこと]
私には3つ離れた兄と、2つ離れた姉がいる。二人ともまだ結婚はしていない。
女姉妹ということもあり、小さい頃から兄より姉といつも一緒にいた。
よく姉が好きなものは私も真似して好きになった。
喧嘩もよくした。
髪の毛の引っ張り合いや、おなかを蹴ったりと女の子と思えないくらいすごくてよく二人して外に出された。
仲直りはお互い素直になれず、どちらかが手紙を書いて部屋に置いておき、手紙で返事を返していた。
でも私は姉が大好きだった・・・。
姉は高校を卒業してすぐに東京に行ってしまい、私は寂しかったけど、どうしようもできなかった。
それから何年か経ち私も東京に住むことになり姉は部屋探しを手伝ってくれた。
そして結婚したい人が出来たときにも私はまず姉に相談した。
姉はすごく喜んでくれて「応援するからがんばって」と言って
反対する親に一緒に話をしてくれた。
結婚後も何回か遊び2年後に私に子供ができて、姉に報告したらとても喜んでくれた。
その後私もつわりがひどくなり、しばらく実家に帰っていて、その間も姉から何度か電話がきてとても心配してくれた。
電話では「生れたらすぐに見たいから実家に行くね」と言っていた。
子供が生れ姉と何度か会う約束をしたけど、ドタキャン続きで時が流れた・・・。
私は会えないときどうしても理由が見つからなかった・・・。
どうして実の姉なのに私の子供に会ってくれないのだろう。
どうしてあんなに楽しみにしてると言ってたのに会ってはくれないのだろう。
私は姉を責め手紙で思いを伝えたけど、姉からは何の返事も来なかった。
姉に私の子供を合わせることが出来たのは子供が1歳8ヶ月のときだった。
今はとてもかわいがってくれている。
姉に何が起きたのかは分からないけど、どこかで姉は悩んでいたのかもしれない。
私はそんな姉に自分の都合で責めてしまっていた。
私は振り返ってみると今まで姉とよく話をしていなかったんだ。
私はいつも自分のことばかりで姉のことを真剣に聞こうとしていなかったんだ。
姉と距離をとっていたのは私の方だったんだ・・・。
私がブログを書きつづける理由 [思ったこと]
以前にもブログについて思うことを書いたけど、
http://blog.so-net.ne.jp/flower1126/2005-02-19
私がブログを始めたのは仲間で「自分でブログを作ってみよう」が理由。
じゃあ実際どのくらい今の自分に必要があるのか・・・
以前はパソコンが苦手で(今でも基礎用語もほとんど知らない)文章を打つにも時間がかかったけど、今は大分早く打てるようになった。
以前は子供中心の生活で平凡な毎日だったけど、睡眠時間を削ってブログの時間を作り、充実している。
一番の違いは「自分」を良く知れたこと・・・。
ソネットのブログはniceが記事を物語っている。
極端に言うと面白いかどうかが評価されることでより磨かれていくと思う。
私の仲間でソネットでブログをしている人は何人かいるけど、記事数もすごいけどniceの数が半端ではない
私と同じくらいに始めた仲間も記事数は私より少し多いけど、niceの数がすごい
その人達の記事は、確かに読んでいて面白いし興味が湧く。
niceの数が全てではないと思っているけど書いている以上沢山の人に読んでもらいたいと今は思っている。
今までは子供の写真を載せたりするのが多かったけど、もっと私を知ってもらう為に自分自身のことを書く記事を増やしていこうと思う。
私の生き方、感じ方がどう映るのか・・・
そしてこれから沢山の人たちのブログを読んでいこう。
沢山の人たちに触れていき自分も成長していこう・・・。
だから私はブログを書きつづけます。
関連記事
BigLoveさんの記事
http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20050313
てっちゃんさんの記事
http://tecchan.blogzine.jp/tecchan/2005/03/post_8.html#trackback
ラスカルさんの記事
http://blog.so-net.ne.jp/tabibito/2005-03-15
ぽっかぽかさんの記事
http://blog.so-net.ne.jp/pokkapoka1011/2005-03-16
天然さんの記事
http://blog.so-net.ne.jp/tennen_nasubi/2005-03-16
ねこにんさんの記事
http://blog.so-net.ne.jp/nekonin/2005-03-19
大きくて温かい魔法の手 [思ったこと]
飛行機雲さんからトラバhttp://blog.so-net.ne.jp/hikoki_gumo/2005-02-26
結婚式の前日のことを思いだしました。今から4年と少し前。
前日は私の母と、姉と私の3人で式場の近くのホテルに泊まりました。
私は式の前日だったため緊張していたのかおなかの調子があまりよくありませんでした。
食事を済まし、寝るときになってもおなかが痛くて寝れませんでした。
そんな時母が「大丈夫?」と言いおなかをさすってくれました。
小さいときから私はおなかが痛くて寝れない時は母のところに行くと、
いつもやさしくおなかを撫でながら
「のの字を書くと治るのよ」
と言って私が寝るまでさすってくれて、
私は「お母さんの手って大きくて温かい魔法の手だな」と思っていました。
何年ぶりかの母の手はもう私と同じ大きさの手。
でも温かくて優しくて・・・私は涙が出てきました。
この手に抱いてもらっていたんだな・・・
この手に育てられたんだな・・・
と思いながら
「ありがとね」と私が言うと
「いいから寝なさい」と母も泣いていた。
私は小さい頃母が嫌いな時期がありました。
私の実家は自営業をしています。
友達のお母さんはいつも手料理を作ってくれていておやつも手作りのもの。
うちはご飯は買ってきたものや店屋物が多く、おやつはお菓子がいつもおいてあった。
運動会のお弁当もほとんど買ったお惣菜ばかり。
学校が休みの日でも店は営業していたのでどこにも連れて行ってもらえず
母に文句を言っていました。
今思えば母は大変だったと思います。
父はほとんど家にいなくて、家事と仕事を両立していて子供3人を育ててくれたのだから。
式も何とか無事に終わり最後の新郎の挨拶のときに
夫が緊張していたせいか声が震えていたので私は夫の手を握りました。
これからは私はこの人の手を握っていくんだな。
この人の手も大きくて温かい手だな。
手っていいな・・・。
今は私も母親になりました。
子供を産んで母にすごく感謝しました。
叔母(母の姉)が私に母のことを話してくれました。
「お母さんはすごく苦労したのよ。自営業にお嫁に行くのはとても大変なことだったし、
辛くてもおばあちゃんが厳しい人だったから実家に来てはいけないといって生き抜きもできなかったのよ。お父さんは子供のことは何一つしなくてお母さんがあなた達3人を育ててきたんだから。
でもお母さんのすごいところは自分が苦労してきたから子供に同じ思いをさせたくないといっていたのよ。」
確かに母は私と子供のことをよく面倒見てくれました。
「お母さんにできることは何でもしてあげるから」
今でも感謝しています。
子供は母親から生れてくる。
一番先に我が子を抱いた瞬間は何ともいえない感動。
初めて子供を抱いたときの子供の小ささ。
この子にとって私の手はどんな風に映っているんだろう。
この子にとって夫の手はどんな風に映っているんだろう。
この子にとって私の母の手はどんな風にうつっているのだろう・・・。
一生懸命 [思ったこと]
以前働いていたときの上司をふと思い出した。
私は入社してからこの上司に何度呼び出されて怒られた事か・・・。
ミスをするたびにお客さんのいる前で怒鳴る。
大雪で遅刻したとき他にも遅刻したのに私だけ怒る。
みんなが休みを取っていたのに私だけ許可しない。
そんな不満を先輩にぶつけたら
「あの人に怒られてるうちはいい方だ」と言われた。
当時はこの上司のことが嫌いだった。
「私はいつも一生懸命やっているのにそんなに怒らなくてもいいじゃないか」といつも思っていた。
この上司も私のことを嫌いだと思っていた。
2年経ち上司が変わった。
前の上司とは違い優しく怒らない上司。
私は最初うれしかった。
でもなんだか寂しかった。
前の上司から言われたことが今でも心に残っている。
「一生懸命」ってどういう字書くか分かるか?
おまえのは「一所懸命」なんだ。
この上司は私を成長させようとしてくれて、
いつも真剣に怒ってくれていた。
私はこの上司に出会わなければいつも「一所懸命」な人生を送っていただろう。